何度見ても、どこを取り上げても印象的で素晴らしく
20世紀が生み出した最高の映画のひとつだと思います。
しかし私は、リアリティを追求したはずのこの映画に、違和感を感じる部分が少しあり
――それは、二流三流の映画だったなら、気にもしなかったであろう内容です――
この映画、本当に久々だったので、つい感動した私は
発作のように気になりだしました。
ここ数日、私の頭の中は七人の侍のことばかりです。
語るまでもなく、 この映画は
黒沢映画の中でも素晴らしい出来の怪作であり傑作です。
パーフェクト!
それじゃあ、私が何を気にしているのかというと……。
野武士(この映画の悪役) たちの戦い方です。
侍の仕事を失いおちぶれ、野武士となった
40人の悪役たちは、ほぼ全員が騎兵であるにも拘らず
なぜか馬上で刀をふりまわしながら、お百姓の部落めがけて突撃してきます。
弓は強かったんだけどね |
大人数の歩兵を相手に、馬上で刀を使っても
うまく間合いが取れず、力で押しやられてしまいます。
やはり騎兵の扱うべき武器は槍であるべきでしょう。
なぜ彼らは槍を使わず、馬上で刀をふりまわしたのか。
【仮説1】: 槍がなかった説
どうして槍がなかったのだろう。寝床の焼き討ちシーンで
槍だけが失われてしまったのだろうか。なんでだろう。
【仮説2】:野武士ばか説
いや、単純に、すごいアホだったのかも。
この映画は、百姓や侍の心理描写は非常に濃いのですが
野武士のほうは、比較的てきとーな扱いです。
コメディ要素も充実している映画だから、しょうがないでしょうか?
【仮説3】:監督の苦肉の策説
もし野武士たちが槍を使い、まともに勝負を仕掛けてきたら
お百姓や七人の侍にとって、散々な負け戦になったでしょう。
あの見事な勘兵衛の戦術も采配も、
今一つ足りない無謀な作戦となって終わっていたかもしれない。
(そういえば、勘兵衛は負け戦しか体験したことが無かったとか。うーむ)
映画というものは、あまりにもリアルに再現をしようとすると
人々の理解を得ることができなくなり、テンポは悪くなり
結果、つまらない作品の烙印を押されてしまうことがあります。
……よね。
派手に出迎えてやろうぜ! |
さて、本日は偉そうに名作映画の考察をつれづれ書いてしまいましたが
この作品は私が生まれた時代より、数十年も前の作品です。
こういった話題は、とっくに散々ファンの間で
論議されてきたのではないかと思います。
なので、どこかの誰かが考察していないかと
一応ざっくりと検索してみたのですが……
そういう話は見つけられませんでした(´・ω・`)
もし、この記事を読んで下さった映画ファンの先輩がいらっしゃいましたら、
どうか私の悩みを解決するためにコメントください。お気軽に辛辣に。
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